阪神・淡路大震災/あれから23年・・・

今日で23年を迎えた、阪神・淡路大震災。

23年前の1月17日は、私にとっても一生忘れることのできない日です。

こちらのブログをはじめてから、はじめての1月17日ですので、書きとめておこうと思います。

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地鳴り・・・それは、今まで生きてきた中で一番恐怖の轟音です。

当時、私は高校生でした。

前日の16日、私は同級生と一緒に、同級生のお姉さん達にスキーへ売れて行ってもらっていました。

県内のスキー場へ車で行っており、帰りはものすごい渋滞に巻きこまれて、帰宅したのは日付が変わってからでした。

17日は学校があったため、すぐに就寝しまいたが、25時をまわってしまっていたことは鮮明に覚えています。

そして、その約4時間後。。。

なぜか、ふっと目が覚めたのです。

スキーで疲れて、すぐに寝たはずなのに。

するとすぐに、遠くの方から聞いたことのない轟音が自分の方へ来るのです。

これが『地鳴り』なんですね。後で知りました。

え!?何の音!? っと思ったのも束の間、一瞬にしてものすごい揺れに襲われました。

最初の数秒は揺れが軽かったので意味がわからず、スキー帰りの渋滞中の車内で寝ていたため、一瞬「確か、車から降りたはず・・・」と寝ぼけて思ったことを鮮明に覚えています。

でもすぐに揺れは強くなり、「地震だ」と気づいてとっさに布団の中にもぐりました。

経験したことのない大きな揺れで、恐怖でした。

当時、私は自分の部屋で、当時流行っていたパイプのハイベットで寝ていました。

ベッドに架けた階段を登ると布団、ベッドの下をクローゼットのようにしていたのです。

天井から吊り下がった電器の傘が横にあるような高さだったので、余計に大きく揺れたのだと思います。

廊下を挟んだ隣の部屋からは、両親が「地震だ!」と叫んでいましたが、
あの揺れではどうすることもできません。

あの日以来、このベッドで寝ることはなくなり、解体しました。

後から考えると、揺れの方向によっては、倒れていたのではないかと思います。

実家は、神戸から車で小1時間くらい離れた距離ですが、この揺れでした。

食器棚が倒れるまでには至っていませんでしたが、中の物が落ちていました。

朝、テレビで神戸の街の映像を見てびっくりしました。

電車に乗ってお出かけに行く、見慣れた街並みに火が燃え上げっており、ものすごい黒煙に包まれて信じられない光景になっていました。

受験生だったので、みんな4倍程の時間をかけて大学へ向かったり、現地に前泊したりしていました。

あれから23年・・・

本日、職場では10:03に訓練のためのエリアメールが鳴動しました。

個人のケイタイも会社のケイタイも一斉に鳴りました。

長男の学校では集会があり、先生からのお話があったそうです。

23年経った今では、先生も体験されていない方や、小さくて記憶にない方が多くなっているそうです。

これから何年経っても、大きな自然災害が起こったことは語り継がれていって欲しいと思います。

私も当時は何の役にも立てていませんが、自分の身の回りで体感したことは、長男がもう少し大きくなったら説明したいと思います。